3月、春になりました。今日は近所の高校でも卒業式があったようで、正装された親御さんをたくさん見かけました。お子さんのご卒業おめでとうございます。
自分も親になってわかったこと
自分という存在は、赤ん坊の頃からの積み重ねの連続であるにもかかわらず、自我に目覚めてからの記憶がないため、親の苦労を知りません。
ぶじに生まれてくるかヒヤヒヤさせていたこと。おっぱいがなかなか上手に飲めなかったこと。熱を出したこと。中耳炎になったこと。食が細すぎて全然食べられなかったこと。
自分自身の記憶がないことを親は全て経験し、心配して不安になり、調べたり教えてもらったりしながら乗り越えて今があることを僕は知りません。
だからこそ卒業式という節目の日は親御さんにとっても一区切りつける記念日になるのではないかと思うのです。
オシャレはさまざまな我慢の積み重ね
さて、最近は朝が寒くて昼間は割と温かいため出勤のときに薄着の方を見かけることが増えてきました。卒業式に出席される親御さんの装いもトレンチコートの方が多かったですね。
ファッション的には季節遅れな感じになると、やっぱりダサイって感覚があるのはコモンセンスなんでしょうね。そう考えるとオシャレの行き着くところってなんだかんだで「我慢」なんですよね。
暑さ寒さを我慢して、いたいのかゆいの我慢して、ちょっとキツいのも我慢してようやくオシャレの土台に立てるみたいな。そんな感じなんですよね、きっと。
特にセレモニーで正装する日などは暑いとか寒いとか言ってられない場合もある。晴れの日くらいはビシッと決めないとね。